シエレナ氏「謝罪はリセットボタンでない」
写真: Scoop
『まず話をしてから後に謝罪する』という文化はマレーシアの政治で一般的になり、責任の取り方を無視していることを示している。
UMNO総会でヌラズリ氏は聖書の詩篇を誤って引用し謝罪の用意を示した。
- UMNO総会でダトゥク・ヌラズリ・サイド氏が性的に露骨なジョークを述べた
- ジョークにはカトリックの神父と修道女が登場し、聖書の詩篇129篇を誤って引用した
- 同氏は不快にさせた意図はないとし、誤解があれば謝罪する用意があると述べた
- 詩篇129篇には実際にはそのジョークの言葉は含まれていない
- 筆者は謝罪だけでは責任の取り方として不十分だと指摘している
政治的責任とは、線を越えた後に謝罪することだけを意味するわけではない。最初からその線を越えない判断力を持つことでもある。ダトゥク・ヌラズリ(Datuk Noorazli)・サイド(Datuk Noorazli Said)は、誰かを不快にさせた意図はなかったと述べ、発言が誤解を招いた場合「謝罪する準備がある」と語った。
はい、同氏は謝罪すべきである。しかし、それが問題の終わりになるわけにはいかない。マレーシアの政治ではこのパターンを何度も見てきた。不適切な発言がなされ、公的な怒りが起こり、文脈が提示され、意図が説明され、最終的に謝罪がなされる。その後、また元の状態に戻る。この「最初は話をして、その後謝罪する」文化は止めるべきである。
総会での出来事は、一時的な口ミスではなかった。ダトゥク・ヌラズリは、カトリックの神父と修道女を含む性的に露骨なジョークを選んだ。そのジョークでは、男の手が女性の太ももに長くとどまり、さらに進むべきであるという暗示が含まれていた。その後、同氏は聖書の詩篇129篇を引用したかのように、キリスト教の聖書をジョークのクライマックスに持ち込んだが、その言葉は実際には詩篇129篇に含まれていない。
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以上は Scoop の報道の要約と抜粋です。全文は英語の元記事でお読みください。
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